[Recovery from grief]グリーフケアアドバイザー 佐々木清美のプロフィールとこれまで

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青森県弘前市、グリーフケアアドバイザー佐々木清美です。

「グリーフケア」聞きなれない言葉ですが、[グリーフ=嘆き悲しむ][ケア=世話や配慮]、つまり、大切な人を失った悲しみや喪失感を癒して回復の手助けをする専門家です。

なぜ私がグリーフケアアドバイザーとなったのか、プロフィールとこれまでの歩みをお伝えします。

◆グリーフケアアドバイザー 佐々木清美について

・自身の喪失体験からネット検索などを通してグリーフケアアドバイザーという資格を知り、2016年7月17日日本グリーフケア協会グリーフケアアドバイザー特級を取得。

・現在は地元青森県弘前市で、グリーフケアとは何かを知るための勉強会、喪失体験した人が集まり想いを共有しあうグリーフケアワークショップを開催している。

・グリーフケアに特化したアロマ講座~Recovery from grief~も開講、随時受付中。

・セラピストとして、虹と光のセラピー、タロットヒーリングの活動も。こちらも随時受付中。

◆グリーフケアとは

・大切な人を失った深い悲しみと、現実に対応して何とかしようとする思い。同時に起こる2つの感情の間で揺れ動き、心や身体が不安定な状態になることを「グリーフ」という。

・「グリーフ」の時期は、自責の念に駆られたり、後悔の思いに押しつぶされそうになることも。

・辛く、悲しみの中に身を置いている人に、さりげなく寄り添って回復を援助することを「グリーフケア」といいます。

◆グリーフケアへの想い

・現在の日本では、人の死に対して免疫が薄く、「悲しい」という気持ちを人前で見せることは恥ずかしいという傾向がある。また亡くなった人に対しての「会いたい」「さみしい」という気持ちを表現することに対しても、「いつまでもそのような想いを持つことは、亡くなった人が浮かばれない。」という風潮もある。

・そのために、知らず知らずのうちに自分の気持ちを抑え込み、孤立したり、孤独や絶望感を感じてしまう人もいる。

・グリーフケアが当たり前の世の中になれば、「悲しい」という感情をしっかりと感じた上で、自分を責めることを止め、日々の喜びや幸せを感じながら、その後の人生を歩いていけるようになると思っている。

◆グリーフケアアドバイザー 佐々木清美のこれまで

・1970年9月14日、青森県青森市にて自営業の両親の元、長女として生まれる。弟1人の4人家族。青森明けの星短期大学幼児教育学科(現・子ども福祉未来科)卒業後、青森市内で幼稚園教諭、保育士として働く。2006年7月結婚。2008年長女、2012年長男を出産し、現在4人家族。

・2014年5月2日、第三子となる次男「誠史郎」を死産。

自分がこの世に誕生してから中学を卒業する頃までは、「死」というものはそんなに身近なものではありませんでした。でも、高校2年生のある日、友だちの彼が交通事故で亡くなってからというもの、私の友だちや同級生が事故や自殺などで相次いで亡くなり、死というものがそんなに遠いものではないということを感じるようになりました。

そんな中、結婚し家庭を持ち子どもにも恵まれ、命というものが当たり前に続いていくのだという感覚になっていました。でも第二子を希望した後に流産が2回あり、その後無事に出産まで至ったものの、第三子を希望してからまた1回流産し、「誠史郎」はようやく授かった念願の子だったのです。

念願の子だったにも関わらず、妊娠7か月の時に異常が見つかり羊水検査を勧められ、妊娠8か月の時18トリソミーという染色体異常だとわかったのです。

生まれるかどうかもわからない。生まれても生きていけるかどうかわからない。そんな重い障害を持っていると告げられた時、本当に生きた心地がしませんでした。でも、私がこの子の可能性を否定してしまったら、この子が私のところに来てくれた意味がなくなってしまう。それだけは親としてしてはいけないと、それからはずいぶん前向きに物事を見られるようになったと思います。ただ、誕生を楽しみにしてくれている周りの友だちや双方の両親には、病気のことは生まれるまで話すことはできませんでした。(主人と長女には話していました。特に長女に話せたことで、精神的にずいぶん楽になったことを覚えています。彼女はいつでも、私の一番の味方でいてくれます。)

そして、その日を迎えました。

2014年5月2日。弘前は5月なのに夏のような陽気の日の午後でした。入学式の代休でうちにいた、当時小学1年だった娘と2歳になったばかりの長男と、ソファーに座ってテレビを見ていたら、急にお腹から「パチン!」と弾けるような音と衝撃があり、勢いよく破水してしまったのです。あまりの勢いにもう立つことも出来ず、娘に「携帯電話持ってきて!」「バスタオル持ってきて!」と叫んでいました。娘はオロオロしながらもテキパキと動いてくれ、私は病院と、畑にいた義母と、会社にいた主人に連絡を取ることができたのです。

病院は、私のお腹の子が18トリソミーと知りながら、救急車の手配はしてくれませんでした。主人が仕事を途中で切り上げて迎えに来てくれました。弘前はちょうど花見シーズン。道路は渋滞しており、車を待つ間ずっと生きた心地がしませんでした。義母も来てくれ、子どもたちをお願いして、私は主人の車で病院に向かいました。その時車から見た舞い散る儚い桜、今でも昨日のように思い出します。

病院に着いてからはあっという間でした。どんどん羊水が流れ出て心音が弱くなる中、「帝王切開しますか?普通分娩にしますか?」と聞かれ(事前に緊急の場合は帝王切開をするという書類にサインしていた)、なぜ今それを聞いてくるのかとパニックになりました。赤ちゃんがどんどん弱っているのを感じた私は、普通分娩を選択しました。その時出産を担当してくれた医師の言葉は、ずっと棘のように私の心に刺さったままです。「そのほうが、抱っこできるから良かったですよ」迷っている時間はなかったのだろうけど、今でもその時の判断には後悔の気持ちが残ります。

お腹の中で息を引き取った赤ちゃん。出産には時間がかかるだろうということで、主人は30分ほど会社に戻りました。でもその直後から急に分娩が進み、結局主人が戻る前に誠史郎は生まれたのです。

産声のない出産でした。

静かな病室に、出産の処理をする器具の音や、看護師さんの足音が響きます。「おめでとうございます」の声もない、赤ちゃんの産声もない分娩室。初めて味わう空虚感、絶望感。

本当に現実なのだろうか?

これは夢なのではないだろうか?

でも何度目を凝らしても、どんなに耳を澄ましても、そこに愛しい命の息吹を感じることはできませんでした。

出産後、看護師さんが誠史郎を綺麗にしてくれましたが、それは産湯でもなく、温かいタオルでもなく、「ウェットティッシュ」でした。記念にと足形を取ってくれましたが、朱肉ではなく「赤のスタンプ台」でした。生きている赤ちゃんなら、ありえないことです。人として扱われていないことに、ひどく傷つきました。たった20分前まで生きていた大切な命。それがこんな風に扱われるなんて。ましてや親の目の前で。とてもやりきれない、悲しいを通り越して虚しい気持ちでいっぱいになりました。

その後、病室へ移動して、3日間誠史郎と過ごしました。

本当は家族で過ごす時間も欲しかったのですが、長男がまだ小さくうるさかったからか、一度出血があり休日に受診した際に担当した看護師に「入院中連れてきます?」と暗に連れて来るなという態度で言われたため、少しの時間でも家族一緒に過ごしたいという思いを諦めました。産婦だけではなく、入院患者さんもいるので、その方々への配慮だとは思いますが、こんなところも日本のグリーフケアの理解がまだ進んでいないのだということにつながるのだと思います。

3日の間、死後硬直が始まり、冷たく、どんどん顔色が悪くなっていくわが子を胸に抱いたときの悲しみ、冷たい病室の空気、匂い、窓からの風景。今でも思い出すたびに胸が締め付けられます。

出血が多かったため、私は誠史郎より二日遅れて退院しましたが、無事通夜や葬式に間に合うことができました。

初七日を終えるまで、私はずっと泣いていました。泣いても泣いても涙が溢れて、どうしようもない感じでした。主人や子ども達、家族は黙って見守ってくれましたが、次第に弔問で訪ねて来て下さる方に会うのも辛くなりました。でもそれは失礼なことなのではないかと思い、頑張って対応していました。ずっと泣いたり落ち込む姿を見せることはいけないことだと思っていたのです。

そのうち家族でいてもどんどん辛くなり、出かけることも億劫になってきました。そんな自分を責めたり、周りを恨めしく思う毎日でしたが、ネットで同じ思いをしている人はいないかと探すうちにたどり着いたのが「グリーフケア」「グリーフケアアドバイザー」だったのです。

このどうしようもない気持ちを聞いてくれる人がいる。でも、私の住む青森にはいませんでした。

だったら私がグリーフケアアドバイザーになればいい!

急に溢れてきた熱い思いに駆り立てられるように、資格取得を決め、家族の応援もあり、2016年7月17日グリーフケアアドバイザー特級を取得したのです。

グリーフケアアドバイザーを勉強していくうちに、私の中にあった自分を責める気持ち、周りを恨めしく思う気持ちは無くなっていきました。あの時感じた辛い思い、人と接したくない気持ち、つい家族にきつい態度を取ってしまったこと、全部全部グリーフの過程だったのだとわかったおかげで、どんなに救われたことでしょう。

私のように、グリーフケアに救われる人がきっといるはず。その思いが私を今も後押ししてくれています。

大切な人を亡くしたら、たくさん泣いていいんです。悲しんでいいんです。

あなたが必要な時いつも寄り添い、幸せを感じながら前を向いて歩くためのお手伝いをします。

それがグリーフケアアドバイザーです。

◆今後の展望

・グリーフケアに対する理解や認知を広めるために、定期的に「グリーフケアを知る・ちいさなお話し会」を開催していきます。

・定期的に大切な人を亡くされた方が想いを分かち合うのための「グリーフケア・ワークショップ」を開催していきます。希望により、流産や死産、新生児、小さなお子様を亡くされた方のための「petit Ange プティ アンジュ 小さな天使」、ご両親、ご兄弟、ご親戚、ご友人など、大切な人を亡くされた方のための「e’toile エトワール お星さま」、かわいいペットを亡くされた方のための「L’arc~an~ciel ラルク アン シエル 虹」も開催します。

・医療機関、介護福祉機関、葬儀会社の方などとつながり、地元の地域だけではなく、日本の社会全体にグリーフケアが浸透し当たり前の世の中になるよう活動していきます。

・セラピーやセッションを通じ、グリーフを受けた人がしっかり悲しみを感じ、悲しみを抱いたままでも、人は幸せを感じて生きていけるのだと実感してもらえるよう、活動していきます。

グリーフケアアドバイザーがいることが当たり前の社会、大切な人を亡くしても、自分を責めたり周りを責めることなく、幸せを感じながら前を向いて歩ける社会になることを願っています。そしてその社会を実現するよう頑張ります。

生まれてこられなかったけれど、愛する大切な誠史郎。彼が命をかけて教えてくれた命の大切さ、私の進む道。これからもその想いをずっと大切に生きていきます。

今後はこちらでグリーフケアに関する情報や私の想いを綴っていきます。お付き合いいただけたら嬉しいです。

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コメント

  1. ゆかり より:

    はじめまして。ネットで青森市意外のグリーフケアの会を探していましたら、佐々木様のブログがあり、読ませていただきました。私は、子供の流産、夫の死を経験しています。
    仕事は、介護職についています。
    まわりは、私をもう、立ち直っていると思っているのが、つらい日々です。

    • kiyotan より:

      コメントありがとうございます。
      お返事遅くなりまして申し訳ありません。

      想いを吐露することは、とても大事です。私で良ければいつでも話をお聞きいたします。どうか力になれますように。

  2. 長戸純子 より:

    はじめまして。同じ経験を持つ者として つい書き込みました。
    初めての妊娠で死産、その次の妊娠で流産。今でも生きてたら何歳って毎年思ってしまいます。
    30年以上たっていますが、その時の事は鮮明に覚えてます。
    連れて行かれる際に、一瞬しか見ることも出来ず、タオルには包まれてたとは言え、タイル張りの場所に置かれてるのを聞き、無神経な医者への怒り、私の人生の中で最大の後悔です。